御酒とは

戦前の泡盛酒造所では、代々蔵に棲みついた蔵つき黒麹を用いて、それぞれ個性豊かな味わいの泡盛を造っていました。こうして長く受け継がれてきた黒麹菌ですが、先の大戦の戦火によって、すべて消失してしまいます。しかし1998年、発酵学の世界的権威であった故・坂口謹一郎先生が、1935年に瑞泉酒造の前身である喜屋武酒造場で採取した黒麹菌(瑞泉菌)が、東京大学に保存されていることがわかりました。瑞泉酒造では「戦前の泡盛の復活」を決断し、60年の時を越えて里帰りしたデリケートで繊細な菌と向き合い、昔ながらの手作業と最先端の温度管理によって、菌の持つ個性と味わいを最大限に引き出すことに成功。かつてブランドの区別がなかった頃に、すべての泡盛がそう呼ばれていたように「御酒(うさき)」と名付けました。

琉球王朝時代の泡盛

泡盛には、約600年もの歴史があると言われています。琉球王朝の時代、東南アジアや中国などとの交易が盛んだった15世紀頃に、蒸留技術や酒造りの道具が伝来し、琉球泡盛は沖縄の風土や文化のなかで育まれていきました。18〜19世紀には崎山・赤田・鳥掘の首里三箇(さんか)だけに「焼酎職」という職人を住まわせ、琉球王府の監督下で泡盛を造らせました。この当時の泡盛は主に王府の行事や渡来した要人のもてなし、江戸への献上品として使われていたようです。それだけに管理はとても厳しく、原料米や蒸留器具は王府から支給され、酒造りに失敗すると、蒸留器具は家財とともに没収され、島流しにされることもありました。また「焼酎職」以外の者が泡盛を密造し、それが発覚すると死罪になることもありました。こうした厳しい管理のなかで琉球泡盛の製造技術は進化をとげ、現代に受け継がれています。

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